第12章 Beware of Cutting Down ポルノの使用削減に注意せよ¶
THE EASY PEASY WAY TO QUIT PORN(簡単にポルノをやめる方法)12章から16章まで
多くのポルノ使用者が、ポルノの使用を減らすことは、ポルノをやめることにつながる、または、小さな怪物を制御する方法である、と報告する。多くの人たちが、ポルノ削減、もしくは、「ポルノダイエット」を、Pick-Me-Up(ピック・ミー・アップ、強壮剤)として勧めている。ポルノをやめるための手段としてポルノ削減を使うのは、<致命的>となる。これらの削減する試みこそが、我々を残りの人生において罠に捕らえ続けるものである。一般的に、削減しようとすると、やめるための試みは失敗する。数時間か数日の禁欲の後で、ポルノ使用者は以下のようなことを言う:
「オンラインハーレムを見ることなく就寝するという考えに向き合えない、だからこれからはポルノを四日に一度使うか、「よろしくないポルノ」のコレクションを破棄することにしよう。もし、このポルノダイエットがうまく行ったら、そのまま維持か、さらに削減すればいい」
さて今、とある酷い事態が起きている:
1、彼らは世界最悪の状態に嵌まり込んでいる、インターネットポルノ依存症のまま、体内に怪物を生かしているだけでなく、精神にも生かしている。
2、今を楽しまずに、ただ願っている、次の自慰セッションを。
3、削減を始める前は、彼らはハーレムを訪れたくなった時は、常に、ブラウザを立ち上げ、少なくとも部分的には、自分の禁断症状を緩和させていた。今や、通常の生活のストレスに加え、生活のほとんどにおいて、自分自身を禁断症状によって苦しめている、これによって彼らはさらに惨めに不機嫌になる。
4、ポルノにふけっていた間、彼らはほとんどのポルノ自慰セッションを楽しむことはなく、自分が超自然的な刺激を使っていると自覚することもなかった。それは自動的だった、楽しむことができたハーレム訪問は禁欲期間後のものだけだった。今や、彼らはハーレム訪問一回につき、追加の待ち時間があるので、彼らは、その一回一回を「楽しんでいる」。待ち時間が、長ければ長いほど、自慰セッションはより楽しいようだ、何故なら自慰セッションの「楽しさ」は自慰セッションそのものにはなく、欲求(僅かな物理的欲求、もしくは精神的モーピング(塞ぎ込み))によって生じるアジテーション(agitation、不安、心配)の終わりにある。
ポルノをやめることの主な困難さは、神経学的な依存症にはない、これは簡単だ。ポルノ使用者は、様々な機会で、簡単にポルノをやめることができる、愛する人の死や家庭や職場の問題などで。彼らは言うだろう、十日間アクセスなかったが特に問題なかったよ。しかし、もし彼らが、同じ十日間、ポルノにアクセスできる状態だったら、自分の髪をかきむしっただろう。
多くのポルノ使用者はチャンスを与えられる、仕事のある平日や禁欲期間に、彼らは、過度の不都合なく、ビクトリアズ・シークレット(*女性向けコスメ・下着ブランド)の店や、スイミングプールなどを通る。来客のために一時的にカウチで寝ることになった場合や、自分が来客となった場合、多くの人は禁欲するだろう。Go-Goバー(ポールダンスなどのあるナイトクラブ)やヌーディストビーチでも、特に暴動はない。ポルノ使用者は、誰か、もしくは、何かのせいで、ポルノを見ることができないよ、と言えることを、ほとんど喜んでいる。実際、やめたいポルノ使用者は、長期間ハーレムを訪れることなく過ごすことに、密かな喜びを感じている、それは彼らに、もしかするといつの日か、それを求めなくなるのではないかという希望を与える。
やめる際の本当の問題は洗脳である、インターネットポルノは、何らかの支え、もしくは、ご褒美であり、ポルノなしには人生は一変してしまうという特権の幻想。インターネットポルノに背を向けるには程遠い削減という手段があなたにしてくれるのは、落ち着かない感覚と惨めさをあなたに残し、この世で最も貴重なものは見逃した新着動画であり、それを見ることなしに再び幸せにはなれない、とあなたを説得することだけ。
削減を試みているポルノ使用者ほど憐れなものはない。ポルノを見ることを減らせば、オンラインハーレムを訪れたくなることも減る、という幻想に苛まれている。逆が真である、ポルノを見る回数が減るほど、禁断症状の苦しみは長くなり、それを解消することで生じる緩和の「楽しみ」も増す。しかし、彼らは自分のお気に入りのジャンルがいまいちになることに気付くだろう。しかし、それは彼らを止められない、もし、一人の出演者だけ、一つのジャンルのみを扱う動画サイトがあったら、ポルノ使用者は一度しか訪れないだろう。
信じられない?自制における最悪の瞬間とは?四日間待ってからクライマックスを得る時。では、四日に一回のポルノ減量に取り組む多くのポルノ使用者にとって、最も価値ある瞬間とは?全く同じ四日間待った後のクライマックスである!あなたは、本当に、信じているのか、自分はオーガズムを楽しむために自慰をしていると、もしくは、自分には特権が与えられているという幻想の下で禁断症状を解消する必要がある、というより理性的な説明を?
最後の自慰セッションを終える前に、ポルノに関する幻想を消し去るために洗脳の解除が必要である。あなたが、そのウィンドウを閉じる前に、あなたがそれを楽しんでいたという幻想を除去しない限り、後から、再び中毒にされずに、それを証明をする方法がない。ブックマークと保存した画像を徘徊している時に、自問してほしい、この行動のどこに栄誉があるのか。恐らく、あなたは信じている、趣味が良いのは、習慣的に見ていたり、もしくは、お気に入りのテーマを扱っている、少数の特定の動画だけだと。もしそうならば、なぜわざわざ、他の動画やテーマを見るのだろうか?それがあなたの習慣になったから?なぜ、誰かは、習慣的に、自分の脳を滅茶苦茶にして、自分を台無しにするのか?一ヶ月経で変化するものなど何もないのに、ポルノ動画には何か変化があると?
あなたはこれを、自分でテストすることができる、変化を証明するために先月見たあの興奮する動画を探してほしい。そしてそれを憶えておいて、一ヶ月間ポルノをやめた後で、同じ動画を見る。それは、先月と(ほぼ)変わらず、自分が求めているものであろう。この同じ動画は、あなたが誘いを断る、または、パートナー候補の相手にテストされる、といった社会的イベントの後では、違ったものになる。その理由は、依存症患者は、小さな怪物が満たされないでいる場合、完全に幸せにはなれないからである。
どこに満足が関係してくるのか?単に、彼らは禁断症状を緩和させられないと、惨めだということ。ポルノを見ること、と、見ないことの違いは、幸せでいること、と、惨めでいることの違いである。これゆえに、インターネットポルノは、より良いものに見えるのだ。にも関わらず、朝いちでポルノを求めてサイトを見るポルノ使用者は、惨めである、ポルノを見ていても見ていなくても。
削減はうまくいかないだけでなく、最悪の拷問となる。それがうまく行かないのは、最初にポルノ使用者が、習慣を減らしてゆくことで、ポルノを見たいという欲求を削減したいと、望むからである。ポルノは習慣ではなく、依存症なのである。依存症の本質は、より多くを求めることであり、より少なくではない。ゆえに削減するためには、ポルノ使用者は、残りの人生においてずっと、意志の力を行使し、自分を律する必要がある。削減が意味するのは、意志と規律を永遠に保ち続けること。やめることの方が、遥かに簡単で苦痛も少ない、削減に失敗した事例は何万と存在する。
やめることの問題点は、ドーパミン依存症ではない、これは対処が簡単である。ポルノがあなたに快楽を与えるというのは誤解である、この誤解は、我々がポルノを使い始める前に受けた洗脳によって引き起こされ、実際の依存症によってさらに強化される。削減がするのは、この誤解を更に強めることだけであり、ポルノが彼らの生活を完全に占拠するまで洗脳を強め、この世で一番貴重なものは自分の依存症であると説得する。
片手で数えられるほどの成功例では、削減の期間が比較的短い、そして「Cold Turky(コールドターキー、禁断後即座に起きる強烈な禁断症状)」へと続く。これらのポルノ使用者は、削減をしたにも関わらず成功したのであって、削減のおかげで成功したのではない。削減は苦悶を長引かせるだけであり、失敗すればポルノ使用者を精神的に参らせ、自分は一生中毒だと説得することになる。これは、通常、彼らを喜びや支えまたは次のやめる試みまでの先延ばしを求めハーレムに連れ戻し続けるのに充分である。
しかし、削減はポルノの不毛さを表現する役には立つ、禁欲期間後にハーレムを訪れるのは楽しくないとはっきり表している。あなたはブロック塀に頭を打ち付け(禁断症状に苦しむ)なくてはならない、打ち付けるのをやめた時に気持ち良さを感じるために。ゆえに、選択肢は、
1、一生、削減を続け、自分で自分に拷問を課す。これは何れにせよ続けるのは不可能になるだろう。
2、一生、拷問の強度を上げ続ける。これは意味がない。
3、自分に優しくする、ついでに、ポルノもやめる。
削減が示す、もう一つの側面としては、いわゆる、「時々、もしくは、偶にハーレム訪問をする」、などというものは存在し得ないということ。インターネットポルノは連鎖反応であり、あなたがポジティブな努力をしない限り、それは一生続く。
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