Skip to content

第13章 Just One Peek 一回覗き見するだけ

「一回覗き見するだけ」とは、あなたが自分の頭から除去すべき迷信である:

・その「一回覗き見するだけ」がそもそもの始まりだった。

・特別な時、もしくは、苦しい時を乗り越えるための「一回覗き見するだけ」が、我々のポルノをやめる試みを敗北させる。

・この「一回覗き見するだけ」が、依存症を断ち切ることに成功した後、我々を罠へと送り返す。時にそれは、自分はもうポルノを必要としていないと確認するためだが、その一度の訪問が我々を送り返す。

この一回のポルノの後遺症は酷いものになる、それはポルノ使用者を二度と中毒にはならないと説得する、(だがもう彼らは、既に中毒に戻っている)。ポルノ使用者は、何かが自分をこんなにも惨めにしているが、それは罪悪感ではないはずだと感じる、だが、罪悪感が彼らを惨めにしているのである。

度々ポルノをやめる妨げとなるは、「一回の特別な自慰セッション」という思考である、長いカンファレンス出張の後、骨の折れる仕事の後、子供との喧嘩の後、パートナーにセックスを断られた後。「しっかり」と頭に入れておいてほしい、「一回覗き見するだけ」などありえない。これは連鎖反応であり、断ち切らない限り、一生続く。偶に、時別な時に、という迷信が、ポルノをやめた後もポルノ使用者を、モーピング(うじうじさせ)続けさせる。「大したことのない」自慰セッション、という幻を見ないような習慣を身につけよう。あなたがポルノのことを考える時は常に、自分を精神的にも肉体的にも破壊するという特権のために画面の前で永劫の時を過ごす汚い一生に目を向けよう、一生の隷属と絶望に目を向けよう。自分の勃起が頼りにならなくても犯罪ではない、だが、この時あなたは長期的な幸せを手にすることができた、なのに、短期的な「喜び」のためにそれを犠牲にするという選択をした。

「空虚さ」を埋めるために、「何かやること」を見つけられない時があっても構わないさ;現実的に考えて、一生における、あらゆる場面でそれを見つけるのは不可能だ。ほとんどの場合、計画を立てることはできる、だが時には、どうしてもそうなる時がある。また、ポルノに関わらず、良い時や悪い時もある。だが、頭にしっかり入れておいてほしい、ポルノはそれではない(*空虚さを埋めるものではない)。一生の惨めさに囚われるか、全く何もないかのどちらか、あなたはアーモンドが好きだからといって青酸カリを飲みたいとは思わないだろう、なら自分を、偶の「大したことのない」自慰セッションで懲罰するのはやめよう。困っているポルノ使用者に聞いてみよう、「中毒になる前に時間を戻れるとして、あなたはポルノ使用者になりますか?」答えは「ふざけてるのか!」となるのは避けられない。しかし、ポルノ使用者は皆、日常生活の中で毎日、この選択肢を持っているのに、なぜ彼らはその選択肢を選ばないのか?その理由は恐怖である。自分にはやめられない、もしくは、ポルノがないと生活が変わってしまう、という恐怖。

自分に嘘をつかないで!あなたはやめられる、だれでもやめられる。バカみたいに簡単である、だが、簡単にするために、あなたの思考を明瞭にするための特定の基礎がある。

1、あきらめないといけないものは何もない、素晴らしい恩恵だけが待っている。

2、偶の「大したことのない」もしくは「一回覗き見するだけ」の自慰セッションで、自分自身を説得してはならない、絶対に。そんなものは存在しない。あるのは一生の汚名と隷属だけ。

3、あなたは違う、などということはない、どんなポルノ使用者でもやめるのは簡単である。

多くのポルノ使用者は、自分は慢性の依存症患者だと信じている、もしくは、依存的な性格持っていると。これは、通常、ショッキングな神経学の読み過ぎの結果である。そのようなものは存在しない、中毒になる前に、生まれつきで、動画で自慰する必要性を持っている人はいない。麻薬があなたを中毒にしているのであって、あなたの性格や人格の性質ではない。中毒性のある超自然的刺激の性質が、あなたをそうだと信じ込ませている。しかしながら、この信念を取り除くのは大事である、もしあなたが依存症であると信じている場合、あなたは依存症であり続ける、あなたの体内の小さな怪物が死滅したずっと後でも。洗脳の全てを取り除くのが肝心。