第16章 A Social habit? 社会的習慣?¶
心身の健康が、我々がポルノをやめようと思うべき主な理由である、だがそれは常にそうだった。実際には、我々は、神経学の科学的研究と知識に、ポルノは依存症であり、命取りになる可能性がある、と言ってもらう必要はない。我々のこの身体は、この惑星で最も洗練された物体であり、ポルノ使用者は皆、最初の時から知っている、この刺激物は過剰になって毒に変わるかもしれないと。
我々がポルノに関わった唯一の理由は、そのサイクルと我々の進化のプログラミングの重なりにある。インターネットポルノは簡単に手に入る、無料で24時間配信している。ポルノはかつて、無害だと考えられていたが、その時代は画像は静的であり動画は地元の店にVHSテープを買いに行く必要があった。
今日、それは一般的にも、ポルノ使用者自身にも、ポルノは超自然的な刺激物であり依存症を発症させると考えられている。昔は、強い男は自分が自慰をしていると認めなかった、自慰は軽蔑の言葉だった。すべてのパブ、クラブ、バーで、男の大半は、誇りを持って、女性を家に連れ帰ってセックスすることを求めることを誇りに思っていた。今日では、この立ち位置はインターネットポルノ依存症の真逆になっている、昨今の男は自分が女性を必要としていないと感じ始めていることに気付いている。オンラインと肩を組み、彼は経験を話し合い、戦略を練り、選択肢を探す。昨今の強い男は、麻薬に頼りたがらない。社会の変革によって、すべてのポルノ使用者は、インターネットポルノと自慰をやめることを真剣に検討している、昨今のポルノ使用者は、ポルノを無価値で有害な行為だと考える。
掲示板での最近の流れで最も意味があるものは、ポルノの反社交的側面がますます強調されていること、男が毎日セックスをしてオーガズムに達していることを誇っていた日々はゆっくりと置き換わっている、ポルノという怪物への隷属に気付くことに伴って。
教育を受けた後でも、ポルノを続ける人たちの理由は、彼らがやめることに失敗したからか、恐ろしすぎて試せないかである。この話題に関しては幅広い関心がある、ポルノも自慰もオーガズムも絶っている人たちもいる(パートナーがいる人もいない人もいる)。射精抑制やカレツァのような、セックスのタントラ的部分と生殖的な部分を区別する実践は議論され、多くの人たちが採用している。多くの前述の失敗は、実際には、前のめりに倒れることであり、それを実践しようという人には何かしらの恩恵がある。あなたがPMO無しの道を進み始めれば、自分の人生に応用できる最適なものを見つけるだろう。オーガズムに関しては、セックスの分離について理解し実践した後で、自分の計画を立てることが勧められている。どの道を選んでも、あなたは、オーガズムによって化学物質を脳に多量に流す回数を制限することの価値を理解し、ポルノ、セックス、オーガズムを自分の感情の支えや喜びとして見ることはなくなるだろう。
非ポルノ使用者が作った様々なオンラインコミュニティは、ポルノをやめるだけでなく、自慰もやめることに力を入れている。これらのサイトは、最終的には、逃避している人たちに恩恵がある、だが多くの覚書があなたに意志の力を試すことを指示している。streaks(ストリークス、継続期間)やその他のmeasures(メジャーズ、評価基準)への執着の結果は自己憐憫と高揚感の欠如となる。多くの洗脳は残っていて万全である。いずれ、挫け、ドーパミン作用が起こり、他のポルノ使用者たちが自分だけじゃないんだと知る。しかしながら、彼らの努力は無駄ではない、彼らは前のめりの倒れている、多くの自己拷問は伴っているが、彼らが閉じるのはブラウザであり、欲求と必要ではない。EasyPeasyは逆である、ブラウザを閉じる前に、まず欲求と必要を閉じる。日々、沈みゆく船から去るポルノ使用者の数は増えている、船に残された者たちは最後の一人になることを恐れている。
<あなたが最後の一人になってはいけない!>