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第26章 Should I Avoid Temptation Situations? 誘惑がある状況は避けるべきだろうか?

ここまでの助言は直接的であり、提案ではなく指示として受け取るようにあなたに求めてきた。これらの助言には、数千の検証に基づく、妥当で実践的な理由がある。だが、誘惑を避けるべきかどうかという問に関しては、この限りではない。それぞれのポルノ使用者が自身で判断する必要があるだろう。しかしながら、この過程においてあなたを助ける、二つの有用な提案をすることはできる。将来起こる禁断症状発作への恐怖が、我々に、残りの生涯の間、ポルノを使わせ続ける、そしてこの恐怖は二つの異なるフェイズ(段階)で構成されている。

第一段階、「ポルノ無しでどうやって生きて行けばいい?」

この恐怖は、ポルノ使用者が、独身であるか、エイセクシャル(セックスに無関心)か、無関心か、会えないパートナーがいる場合に持つパニック的な感覚である。この恐怖は禁断症状発作によるものではなく、セックスとオーガズムがなくては生きていけないという、心理的な依存の恐怖である。この恐怖はもう少しでやめられるという時、禁断症状発作が一番低くなっている時に、一番高まる。それは未知への恐怖であり、人々が飛び込みの練習をする時に持つ類の恐怖である。

飛び込み台は30センチの高さだが、2メートルの高さに感じる。水深は2メートルだが、30センチのように見える。飛び込むには勇気が要る、あなたは自分の頭をぶつけると確信している。この飛び込みが一番難しい、飛び込む勇気さえ見つけられれば、後は簡単!これが、なぜ、多くの意志の強いポルノ使用者がやめる試みをしなかったのか、試みても僅か数日しか続かなかったのか、の説明となる。事実、ポルノダイエットをしていたポルノ使用者で、ポルノをやめるという決断に際し、実際に、ポルノをやめようとしていなかった場合よりも激化し、よりキツい動画へとエスカレートする人たちもいる。この決断はパニックを生じさせる、それはとても不安を生じさせるものであり、ハーレムへの旅の合図の引き金となる。だが、今、あなたはそれができないので、困窮感へと至り、ストレスを悪化させる。

この引き金は、ヒューズが飛んだ時に素早く発動し、あなたはブラウザを立ち上げる。心配しないでほしい、このパニックはただの心理的なものに過ぎない。自分はそれに頼っているという恐怖である。美しい真実とは、あなたはそれに頼っていない、依存していないということ、まだ依存症であったとしても頼ってはいない。パニックにならず、飛び出そう。

第二段階 より長い期間の恐怖

第二段階は、長期のもので、ポルノ無しには、未来に起こる特定の状況を自分は楽しめない、もしくは、自分は自分のトラウマに対処できないだろうという恐怖に関するものである。心配はいらない、飛び出しさえすれば、あなたはその逆が真実だと理解するだろう。誘惑を避けることは二つに分類できる。

1.「四日に一回のポルノダイエットを信じてみよう。厳しくなってきたらネットに繋げられることが分かっているから、より自信を持っていられるだろう。失敗しても構わないさ、次のサイクルに日数を追加すればいいだけだ」

これをする人たちの失敗率は、一気にやめてしまう人たちに比べ遥かに高い。これは、もし、禁断症状期間にうまく行かないことがあった時、上記の言い訳があると、簡単にブラウザに飛び乗りハーレムに行ってしまう、という事実が主原因である。割れた窓ガラス、のように明らかに自分のルールを破る、という不名誉があった場合の方が、誘惑は乗り越えやすいだろう。あらゆる出来事において、あなたがちょっと遅らせるだけで、禁断症状発作は、おそらく、すでに、過ぎ去っている。

しかしながら、これらの失敗率の高さの主原因は、ポルノ使用者が、最初に、ポルノをやめることを完全に誓ったと感じていないことにある。覚えておいてほしい、成功に必須な二つのことは:

・確定性

・「俺もうポルノが要らないんだって、素晴らしいよな?」

いずれにせよ、一体なぜあなたは自慰セッションが必要なのか?それでもまだ、あなたがハーレムを訪れる必要があると言うなら、まずはこの本を読み直してほしい。

何かがうまく馴染んでいない。時間をかけて、自分の思考の中にいる大きな洗脳の怪物を殺してほしい、完全に息の根を止めてほしい。

2.「私は、禁断症状期間に、ストレスの多い状況、または社交的状況を避けるべきだろうか?」

ストレスの多い状況に関しては避けるべきである。自分に重圧をかける意味はない。社交的なイベント、バーやクラブなどにおいては、その逆がアドバイスとなる。今すぐに外に出て楽しもう、あなたがポルノ依存症だった時でさえ、あなたはセックスもセックスの生殖的側面も必要としていなかった。外に出て、自分はセックスも生殖的セックスもする必要がないという事実を楽しんでほしい、これらのプレッシャーのない人生の方が遥かに良い、という美しい真実がすぐに証明されるだろう。考えてみてほしい、小さな怪物がその欲しがりの困窮思考と共にあなたの元から去った時、どれほど素晴らしいだろうか、と。