第9章 Health 健康¶
これこそがポルノ使用者の洗脳が最大になっている場所である、特に若い人や独身の人、彼らは健康リスクについて自覚していると思っているが、自覚していない。多くの者が、自分はこの結果を受け入れる準備ができている、と自分を騙す。もしあなたのインターネットのルーターに警告音を鳴らす機能があって、あなたがポルノサイトを開いた時に、「今の今までは、あなたは処罰を逃れてきました、しかし、もしあなたがこれ以上見続けるならば、あなたの頭は爆発します」と警告する場合、あなたはそれでもポルノサイトに留まりますか?もしあなたがこの答えについて疑念があるなら、崖まで歩いていってほしい、その端に立って目を閉じて、二択を思い浮かべて、ポルノをやめるか目隠しをしたまま歩くか。
あなたが何を選ぶかは明らかだ、しかし、真実から目を背け、ある朝、目が覚めたらもうポルノを見たくなくなっていたらなあ、と願っていては、あなたは何も達成できない。ポルノ使用者は、自分で健康について考えることはできない、もし、それができていれば、この依存症の、幻想でしかない楽しさは消え去る。これは、ポルノをやめる第一段階として、如何にショック療法に効果がないかという説明になる、自ら破滅的な脳の変容に関する記事を読む気になるのは、非ポルノ使用者だけなのである。
以下は一般的なポルノ使用者の会話である、若い人たち全般に見受けられる、
私:なぜやめたいのですか?
ポルノ使用者:ナンパ師のブログで読んだ、4日間ポルノをやめたら盛り上がるって(興奮できるって)
私:健康リスクについて心配ではありませんか?
ポルノ使用者:ないね、明日バスの下敷きになるかもしれないし
私:わざとバスに轢かれるつもりなんですか?
ポルノ使用者:そんなことはない
私:道路を渡る時に左右を確認しないの?
ポルノ使用者:もちろん、する
その通り、彼らは、わざわざバスに轢かれるつもりはない、その確率は数千分の一だろう。にも関わらず、ポルノ使用者は、その依存症によって、ほぼ確実に身体に障害を負うというリスクを犯している、そして、完全にその自覚がないと見える。これが洗脳の力である、インターネットポルノは羊の皮をかぶった狼である。おかしいと思わないか、飛行機にほんの僅かでも異常があると感じたら、我々は搭乗しない、このリスクは数百万分の1だ、なのに、4人に1人以上の確率であるポルノリスクについては無自覚?ポルノ使用者はこれによって何かを得ているのか?<全く、何一つ、得ていない!>
もう一つ、一般的な迷信としては、抑うつ症と卑下である。多くの若者は健康の心配をしていない、なぜなら彼らは抑うつ症も憂鬱も何も患っていないから。抑うつ症もストレス(精神的疲れ)も病気ではない、症状である。若い人たちは全般に、苛立ちや抑うつを感じない、彼らの身体に備わった能力がより多くのドーパミンを作り出すからだ。彼らは、年を取る、もしくは、人生を歩むと、深刻なセットバック(挫折)にぶち当たる、彼らの、既に、枯渇していた資源は酷使され、彼らは、全開になった症状を体験する。年をとったポルノ使用者が、ストレス、抑うつ、苛立ちを感じた場合、それは自然の安全装置であり、神経系を過剰なドーパミンの洪水からその受容体の数を削減することで守っている。このポルノ使用者は、また別の神経学的な変化も発達させる、それは彼らを型に嵌め抜け出せなくさせる。
こう考えてみよう、あなたは良い車を持っている、そしてそれを何もしないで錆びつかせた、これは相当に間抜けだ。それは素早く不動の錆の塊と化す、どこにもあなたを運んでくれない。しかしながらそれは世界の終わりではない、お金の問題だけである。だが、あなたの身体は、生涯に渡り、乗り続ける乗り物である。我々は皆、健康こそが最大の財産だと言う、病気の億万長者に聞いてみるといい。我々のほとんどは、自分の病気や事故のことを思い出せるだろう、早く良くなるよう祈っていた。ポルノ使用者であることで、あなたは、ただ錆びるままに放置しているだけでなく、システマチックに、あなたが一生使う、唯一の乗り物を破壊している。
賢くなろう。あなたは、こんなことをする必要はない、思い出してほしい、ポルノはあなたに何もしてくれない。一瞬だけ、砂から頭を出して(*目を背けるのを止めて)、自問してほしい、自分は本当に理解しているのか、次の自慰セッションが自分が深く愛する人に対して完全に無反応になる過程の始まりであることを、それでもあなたはポルノを続けるのですか?この経験をした人たちについて言えば、彼らは、確実に、自分たちがそうなるとは予想していなかった、そして最悪なのは病気自体ではなく、自分で招いたことである、という知識である。想像してみてほしい、「ボタンを押した(宣戦布告した、立ち上がった)」人たちがどんな気分か、彼らにとっては、洗脳は終わっている。彼らは、残りの人生をこう考えながら過ごす、「なぜ、自分はあんなにも長い間、自慰をするためにインターネットポルノが必要だと、自分を騙していたのだろう?戻れるチャンスがあれば!」
自分に嘘をつくのはやめろ、あなたにはそのチャンスがある。これは連鎖反応だ、もし、あなたが次のポルノ自慰セッションをすれば、それはあなたをまた次のセッションへと導く、そしてそれはまた次のセッションへと。これが今、あなたに起こっていることだ。イージーピージーはショック療法はしないと誓っている、なので、もしあなたが、既に、ポルノをやめると決断しているなら、これから語られる内容は、あなたにはショックにはならない。もしそうでない場合は、この章の残りは飛ばしてほしい、そして最後まで読み終えてから、戻ってきて読んでほしい。
インターネットポルノが我々の性生活と精神に及ぼす障害について書かれた研究は山ほどある。厄介なのは、やめようと決断するまで、ポルノ使用者は知りたがらないということ。討論会や勉強会は時間の無駄である、ポルノが目隠しを着けさせるから。もし、うっかり読んだとしても、彼らが最初にするのは、自分のお気に入りの動画サイトを開くこと。ポルノ使用者は、幸福、ストレス、性のリスクを、地雷原を歩くような、一か八かのものとして考える傾向にある。
頭に入れておいてほしい、これは、既に、今現在、起こっていること。あなたがポルノサイトを開くその一回ごとに、あなたは、ドーパミン洪水の引き金を引き、オピオイドを働かせている。この神経系のウォータースライドは潤滑されていて、そのひと乗りがあなたに次の行程の情報をスムーズに伝える、あなたの脳は、既に、台本に屈している。神経系は、今や、ドーパミンの洪水である、そしてこれは何度も何度も繰り返した後なので、ドーパミン受容体は閉じている、小さな怪物は前回よりも僅かに快楽が落ち込むことを利用し、あなたをさらにレッドラインの向こうへと駆り立てる、よりショッキングなポルノ、もしくは、行動へと、より多くのドーパミンを放出するために。さらなる新奇さは、さらなるドーパミンを、そして小さな怪物はあなたにそれを続けるように言う。一度の自慰セッションに、これほど大量の動画と静止画を使うことは、超自然的刺激の引き金となり、さらなる化学物質を脳に注入し、あなたを続けさせる。
その間ずっと、あなたの受容体は洪水に反応し閉じるように命令を受けている。オーガズムはこの作用を増強するだけ、そして禁断症状につながる。あなたは現実を受け入れない、なぜなら、小さな怪物は、痛みも不快感も伴わず、ポルノフィクス(麻薬注射)を求めるから。勃起障害になるという脅しは、多くの人を恐れさせる、ゆえに、彼らはこのことを精神から遮断し、ポルノをやめることの恐怖で上塗りする。この恐怖は、より強いわけではない、ポルノを今日やめることが、早急なのである。どうして否定的な部分だけ見るの?もしかしたらそうならないかもしれないじゃん、どの道そうなったらやめることになるんだし。
我々は、ポルノを綱引きと考える傾向にある、片方は恐怖で:「不健康だよ、汚れている、奴隷だ」、もう一方は、肯定的:「これこそ俺の喜び、俺の友人、俺の支え」。この側面もまた恐怖であるということに、我々が思い当たることは絶対にない;「我々はポルノを楽しんでいるのではない、我々は、それがないと、惨めになる傾向にある」。ヘロイン中毒患者はヘロインがないと惨めになる、だが、想像してほしい、彼らがやっとの思いで静脈に注射針を刺し、そのおぞましい欲求を終わらせた時の、その完全なる歓喜を。想像してみてほしい、一体どうして、自分は皮下注射の針を静脈に刺すことに喜びを感じる、と本気で信じられるのか。非ヘロイン中毒患者はそのようなパニックの感覚に苦しまない、ヘロインはその感覚を解消しているのではない、生じさせている。
非ポルノ使用者は、ポルノがなくても惨めさを感じたりしない、ポルノ使用者だけがこの感覚に苦しむ。インターネットポルノはこの感覚を解消しない、それを生じさせている。ネガティブな因果関係の恐怖は、ポルノ使用者がやめる助けにはならない、地雷原を歩く時の気持ちと似ている。もし、あなたが回避した場合、結構なことだ、だが、もし、運がなければ地雷を踏み、その因果と向き合うことになる。もし、そのリスクを知っていて、そのリスクを犯す覚悟ができているなら、他人の預かり知る所ではないよな?この段階の依存症患者は、以下の回避戦術を発達させている。
「いずれ年を取れば、どの道、性的な絶倫さを失われる…」
そりゃそうだ、だが、性的な能力は問題点じゃない、我々は奴隷について話している。それに、例えそうだとしても、意図的に自分の性能力を短命にするのは真っ当な理由になるのだろうか?
「クオリティ・オブ・ライフ(QoL、生活の質)は、ただ生きることよりも、大事だ」
確かに!あなたは、依存症患者の生活の質は、依存症のない人のものよりも上だと、そう言いたいのかな?あなたは、ポルノ使用者の生活が、非ポルノ使用者よりも上だと本当に信じているのですか?現実から目を背け、惨めでいることに時間を費やした人生はあまり心地の良いものとは思えないが。
「私は独身だし身を落ち着けるつもりもない、それならいいだろ?」
もしそれが本当だとしても、それは神経学的衝動制御機構をもてあそぶ真っ当な理由になるのだろうか?あなたは想像できますか、いつでも一人になると裸になる、誰かが来るかもしれないとは考えない、間抜けな人のことを?<これがポルノ使用者が実質的にやっていること!>
自分の報酬系を、過剰な刺激で、進行的にべとべとに詰まらせ、普通の生活ストレスに対処できなくすることは、自分の人生を、情熱と活力を持って楽しむことの助けにはならない。ポルノと自慰が、自然の性欲と置き換わっている、チョコバーが本当の食事と置き換わるように。当然、多くの医者と心理学者が、今や、様々な精神保健の問題と生理学的原因を結びつけている。医学界の主流は、自認/公言する人から報告された問題点の直接的原因がポルノにある科学的証明はないとしている、だが、自分の性機能不全を公に認めるのは、非常に恥を感じさせる引き金となるイベントである、彼らが事態を本気で憂慮していないなら、こんなこと(原因を突き止め自分の人生からそれを根絶すること)をするだろうか?
EasyPeasy(イージーピージー)は、あなたがポルノを抜け出し、幸せな元ポルノ使用者になる助けをする。ポルノはそうではない、ポルノは、自慰、もしくは不必要なオーガズムの助けをした。唯一の助けは、あなたのパートナーの感触と匂いと香りだけになるだろう。良質な食欲の後の全粒粉のパンのように、インターネットポルノという高果糖ブドウ糖を欲っすることはなくなる。証拠が圧倒的であり、証明を必要としない;金槌で親指を打てば痛い、これに証明は不要。インターネットポルノのストレスは、ポルノ使用者の生活の他の部分に影響する流れを持ち、ストレスに対処するためにタバコや酒といった薬物に手を出させやすくする、いくつかの実例において、ポルノはその宿主に自殺を考えさせた。
また、ポルノ使用者は、ポルノの悪影響は過言だという幻惑に苦しむ。その逆が事実であり、インターネットポルノが性機能障害とその他の多くの問題の主原因であることに疑いの余地はない。どれだけの離婚が、ポルノが原因だったか?確証を得る方法はないが、ネット上のコミュニティーを探れば、その数は指数関数的に増えていることが示唆される。
Friends(*フレンズ、というドラマ?)のエピソードで、テレビの無料ポルノを浴びていた男たちが、ピザの配達の女性が彼らの「ベッドルーム」を調べてもいいか聞なかったのは何故だろうと不思議に思い始める。あなたが依存症になっていると、あなたは常にポルノの幻想を実在の女性に投影する。想像してほしい、既に人生の転換点(引き返せない点)にある人が、うっかり、もしくは、事故で、インターネットの闇側で、ポルノに被爆したらどうなるか。ポルノによって誘因される思考と戦うことは、彼らの精神の健康を疲弊させる大きな原因となるだろう。
別の思考実験もある、誰かがあなたの所に来て、私はオーガズムをそこまで欲していないが愛し合いたい、挿入もしたい、と言ったとしよう。彼らは、オーガズムに達しない限りにおいて、できる限り長くしていたい、だがオーガズムに達すればそれでも構わない。私はあなたに驚異的な他のどんなものよりも凄い新しいセックス体験を約束できる、もしあなたがこの提案を受け入れるなら。試してみて。
洗脳の影響は、我々に、百階建てのビルから落ちた男のように考えさせる傾向にある、50階を猛烈な速度で過ぎる時「ここまでは最高!」と言う。我々は、自分は今まで回避してきた、もう一回ぐらいポルノセッションをやっても大差なかろうと考える。別の見解では、この「習慣」は、一生続く連鎖である、自慰セッションが次の自慰セッションの必要性を作り出す。この習慣を始めた時、あなたは導火線に火を点けた。問題は、あなたはその導火線がどれだけの長さか知らないこと。あなたがポルノ自慰セッションに屈するたび、あなたは爆発に近づく。<<次がその時じゃないとどうしてわかるのか?>>
The Sinister Black Shadows 邪悪な黒い影¶
ポルノ使用者には、インターネットポルノが、ギスギスした家庭や仕事の一日の後で、夜遅くに外出した時に感じる不安定な感覚の原因である、ということが信じ難い。非ポルノ使用者は、この感覚に苦しむことはない、ポルノが原因なのだから。
また別の、ポルノをやめることで得られる大きな喜びは、我々の精神の奥にある邪悪な黒い影から自由になること。ポルノ使用者は皆、ポルノグラフィーの悪影響によって自分の思考を閉ざしてしまうのは愚かなことだ、という自覚がある。我々の生活のほとんどにおいて、それは自動的なことだが、この黒い影は、常に、我々の潜在意識に潜んでいる、表面のすぐ下に。ポルノをやめることで得られるいくつかの素晴らしい恩恵は、時間の無駄と二次元の画像と愛の営みを行う純然たる間抜けさ、を自覚すること。
最後の章では、非ポルノ使用者であることによる大きな利点について取り扱うが、公平さという点から、バランスの取れた記述をする必要がある。ゆえに、次のページにはポルノ使用者であることの利点について箇条書きする。